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創始者A.T.Stillは南北戦争に従軍した医師!
オステオパシーの創始者A.T.スティル博士は南北戦争に従事した内・外科医でした。
彼は戦場での経験から、この時代に用いられていた砒素・水銀などの薬剤治療や不衛生な外科手術の効果に疑問を持っていました。
後に、自分の3人の娘を流行性脳脊髄膜炎で次々となくす悲惨な経験もします。
人の健康や病気についての洞察力に富んだ疑問や思考を繰り返した末、生まれたのがオステオパシーという新しい治療システムでした。
彼は、当時の先端医学に別れを告げ、体本来の機能を高めるための健康維持のしくみについて独自のアイデアを発展させていきます。より根本的、体に自然なアプローチを求めて…
MD 対 DO
現在アメリカでは、オステオパシーは保健医療という地位を獲得しています。
しかし、ここに至る経緯は長く険しく、オステオパスにとっては屈辱的な時代がありました。
Still博士も当初は藪医者呼ばわりで、家族を連れ国内を転々とさまよったと伝えられています。
オステオパシーの発表から約40年後に、ようやく医学として公認されるようになったものの、増大するオステオパスの権力を恐れた医者(MD)との対立は続きました。
MD(西洋医学の医者)は DO(ドクター オブ オステオパシー)を格下と見て、職業的な関係や交流を持つことを禁止しました。関係を持った者には、罰則も下ったようです。
オステオパス達の飛躍
そして世界中を巻きこむ第一次世界大戦、第二次世界大戦が始まりました。
アメリカ国内の医者(MD)は軍医として従軍し、国内の医療サービスは手薄になりました。
ここで一躍有名になり、活躍しだしたのがオステオパス達です。
自分達の病院や診療所もしだいに増えてきました。
保健医療として確固たる地位を築く過程に、戦争が大きく絡んでいたというのは興味深いですね。
*さらに知りたい人は「オステオパシー発展の年表」をご覧下さい。
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