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私は大学の4年間を埼玉県戸田公園の体育会ボート部で過ごしました。
ボート部では早朝と午後に1日2回の練習を行い、年間300日を合宿所で過ごしました。
2年目までに筋力トレーニングや持久力を順調に高めていたにも関わらず、その年の秋に行われる全日本新人選手権の直前に急性の腰痛に襲われました。パドリング中(強く漕ぐ)に稲妻のような刺激が腰に走ったのです。
パートナーに艇を止めてもらい、私は陸に転がりました。
その翌日から、じわじわと腰痛が悪化してきました。
夜は痛みで寝られず、日中は30分とまともに歩けない日々が続きました。
左足がまともに動かず、極度の冷えと便秘などが併発しました。
大学にはボート部の仲間が車を出さないと通えない状態でしたので、外に出ることが億劫になりました。
大学に行ってもまともに講義を聴いた覚えはありません。なぜなら30分以上イスに座れなかったからです。大学で私はいつも逃げるようにボート部の部室に行きました。そこで整体や栄養学、健康法についての有益な情報を模索しました。かつて買い込んだプロテインやアミノ酸が哀しく棚に並んでいました。
もはや私は漕手ではなく、彼らのサポートをするマネージャー業務や食事作りを担当する運命になりました。
強くなりたくて、ボートを漕ぎたくて部に入ったはずなのに、何でこんなに手際よく部員の食事を作っているのだろう?
上級生になってもリハビリをしていた私はボート部で自分の居場所を探すのに苦労しました。トレーニングをする楽しみを奪われ精神的ショックから拒食症になり、体重が激減しました。
「鍛えられないなら筋肉もつかない。だったら食べても意味がない」
そんな思考にさえ陥りました。
当時の主将が心配して、後輩の筋力トレーニングや栄養管理という仕事を私に任せてくれました。そして後輩を育てることにやりがいを見出しました。
「漕いでいる人間に余計な労働をさせてはならない。漕げないものは雑用しっかりして役に立つべし。」
そんな雰囲気が合宿所には漂っていました。必死にリハビリをしました。整体や健康法、栄養についてできる限り調べて実践しました。
それでも私の体は一向に良くなりませんでした。
当時のコーチに退部を申し出た時にこう言われました。
「お前は自分の体を壊した原因を本気で探したのか?
今辞めれば、その痛みにこの先も泣くことになる。腰がうずく度に、中途半端に逃げ出した事を一生後悔することになるぞ!」
このコーチの言葉が悔しくて、結局、引退するまで合宿所でリハビリを続けました。この間、多くの医者や有名な整体、カイロの先生などの診療を受けましたが、目立った改善はありませんでした。
ボート部を引退した私は、実家に帰り普通の学生の様に過ごしました。
温かい家族に励まされ、草木と花に囲まれた尾根道でリハビリをして、1年後にはビッコを引きながらですがようやく歩けるという実感が持てました。
この左足の運動障害はさらに2年経って自然治癒に至りました。
今は当時のトレーニング法の誤りや欠点、故障の原因などが良く分かります。
このボート部時代の経験を何かに活かせないだろうか?そう思いながら就職活動に入りました。
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