About  Therapists

けいたろの紹介

_____________________________________________________

 

Osteopathy "Floating"院長

神楽坂整脚塾 塾頭

けいたろ

 

 

 

*HOMEに戻る

 

 

〜略歴〜

 

∴東京外国語大学 外国語学部 インドネシア語学科卒業

Wat po Traditional Medical School にてタイマッサージの基礎コース終了

∴美容系商社に就職。都内のスパサロンに勤務、店舗管理と運営に関わる

∴ジャパン カレッジ オブ オステオパシー卒業 インターン課程終了(全日制3年)

∴ジョン=ワーナム カレッジ オブ クラシカルオステオパシー(英国)

∴ウエストバージニア州立オステオパシー医科大学(米国)にて技術研修

∴東京大学医学部付属病院 神経内科所属 研究員(2005-06年)

東京外国語大学ボート部 コーチングスタッフ(リハビリ担当)

 

 

 この道に入ったきっかけ 「ボート部時代の自分探し」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

私は大学の4年間を埼玉県戸田公園の体育会ボート部で過ごしました。

ボート部では早朝と午後に1日2回の練習を行い、年間300日を合宿所で過ごしました。

 

2年目までに筋力トレーニングや持久力を順調に高めていたにも関わらず、その年の秋に行われる全日本新人選手権の直前に急性の腰痛に襲われました。パドリング中(強く漕ぐ)に稲妻のような刺激が腰に走ったのです。

パートナーに艇を止めてもらい、私は陸に転がりました。

その翌日から、じわじわと腰痛が悪化してきました。

 

夜は痛みで寝られず、日中は30分とまともに歩けない日々が続きました。

左足がまともに動かず、極度の冷えと便秘などが併発しました。

大学にはボート部の仲間が車を出さないと通えない状態でしたので、外に出ることが億劫になりました。

大学に行ってもまともに講義を聴いた覚えはありません。なぜなら30分以上イスに座れなかったからです。大学で私はいつも逃げるようにボート部の部室に行きました。そこで整体や栄養学、健康法についての有益な情報を模索しました。かつて買い込んだプロテインやアミノ酸が哀しく棚に並んでいました。

 

もはや私は漕手ではなく、彼らのサポートをするマネージャー業務や食事作りを担当する運命になりました。

強くなりたくて、ボートを漕ぎたくて部に入ったはずなのに、何でこんなに手際よく部員の食事を作っているのだろう?

 

上級生になってもリハビリをしていた私はボート部で自分の居場所を探すのに苦労しました。トレーニングをする楽しみを奪われ精神的ショックから拒食症になり、体重が激減しました。

 

「鍛えられないなら筋肉もつかない。だったら食べても意味がない」

 

そんな思考にさえ陥りました。

当時の主将が心配して、後輩の筋力トレーニングや栄養管理という仕事を私に任せてくれました。そして後輩を育てることにやりがいを見出しました。

 

「漕いでいる人間に余計な労働をさせてはならない。漕げないものは雑用しっかりして役に立つべし。」

 

そんな雰囲気が合宿所には漂っていました。必死にリハビリをしました。整体や健康法、栄養についてできる限り調べて実践しました。

 

それでも私の体は一向に良くなりませんでした。

当時のコーチに退部を申し出た時にこう言われました。

 

「お前は自分の体を壊した原因を本気で探したのか?

今辞めれば、その痛みにこの先も泣くことになる。腰がうずく度に、中途半端に逃げ出した事を一生後悔することになるぞ!」

 

このコーチの言葉が悔しくて、結局、引退するまで合宿所でリハビリを続けました。この間、多くの医者や有名な整体、カイロの先生などの診療を受けましたが、目立った改善はありませんでした。

 

ボート部を引退した私は、実家に帰り普通の学生の様に過ごしました。

温かい家族に励まされ、草木と花に囲まれた尾根道でリハビリをして、1年後にはビッコを引きながらですがようやく歩けるという実感が持てました。

 

この左足の運動障害はさらに2年経って自然治癒に至りました。

今は当時のトレーニング法の誤りや欠点、故障の原因などが良く分かります。

このボート部時代の経験を何かに活かせないだろうか?そう思いながら就職活動に入りました。

 

 

 美容系商社・デイスパサロンに就職

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

デイスパのサロンを全国で展開する美容系商社に就職した私。渋谷でサロンとショップの営業・管理を担当しました。

大学時代はボート部の寮で仙人生活をしていたため、華やかな美容業界と女性スタッフの多さに始めはかなり戸惑いました。

お店の内装作りから営業までの基礎を学べたのは貴重な経験でした。といっても私の主な仕事はスカウトマンやどこかの美容部員と入り混じっての"キャッチ"。これはこれで奥が深いのですが仕事内容に満足はできませんでした。

一方、サロン内で着実に技術力を身に付けていく同期の女性社員を見て、「俺も技術職やりたいな〜。」と羨ましく思うようになりました。

そして1年間フリーターの身となり、整体関連の学校探しを本格的に始めました。今でもスパの業界やビジネスには興味があるので、またいつかスパ業界と繋がることがあるかもしれません。

 

 オステオパシーに出会って

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

大学時代から20校以上の手技療法の学校を見学し、最も魅力を感じたのがオステオパシーでした。当時はその知名度の低さに戸惑いました。

しかし、アメリカやヨーロッパでこれだけ普及しているのに、日本でほとんど知られていないという点に、かなり興味を持ちました。

自分で実際に治療を受けてみると、見た目は地味で静かな調整なのに、確実に痛みが減り、効いているという実感がありました。

 

私は腰や膝の調子が悪くなることが多いのですが、いつ痛くなってもオステオパシーを受ける機会さえあれば、安心して過ごせるようになりました。

またオステオパシーを継続的に受けること(月に1、2回)で、アレルギー性の眼、鼻の症状が以前より出にくくなり、体質改善にも多いに役立っています。

 

入学したジャパン カレッジ オブ オステオパシーでの3年間の授業は予想以上に大変でしたが、オステオパシーを基礎から固める上では最適な環境でした。オステオパシーの学生をしながら、マッサージ店、整骨院、整体院、矯正サロン等で経験を積みました。しかし、同業者(特に年配の男性)のオステオパシーに対する評価は低く、

 

「オステオパシーなんて、しょせんマイナーだよ。カイロならまだいいけど。」

「とりあえずマッサージもっとしっかりやろうよ」

 

など言われることが良くあり、同僚とはしばしばぶつかりました。

しかし、私の向き合うべき相手は常に患者さんで、自信を与えてくれたのも患者さんでした。同業者からの評価はどうでも良かったのです。

 

自分のスタイルで営業したいという強い思いから、卒業後1年で開業をしました。これから先も、施術を通してオステオパシーの奥深さや魅力を皆様に伝えられるように頑張ります。

 

___________________________________________________

Copyright(C)2005-2006 “Floating” All rights reserved.

 The website designed and maintained  by Keitaro.